東京デザイン 2020 オープンセッション ~20人のデザイナーが2020年の東京を語る
日時:10月31日(木) 19:00-21:00

20人の先生方のプレゼンテーションをまとめましたお二人メモできてなくて抜けてしまいました…

 

永井一正先生(グラフィックデザイナー)
まず脳裏に浮かんだのは1964年の東京オリンピック。当時はデザインシステムが非常にうまくいった。今回も同様にうまくいくことを祈っている。
思い返してみると、前回のオリンピックでは1959年にIOCの総会で日本に決まった。今回よりも準備期間が短かった。1960年に池田内閣が所得倍増論を唱え、オリンピックがそれに拍車をかけた。社会インフラが急速に整備された。あの成功はデザインシステムの完成にあったと考える。
60年になると最初に必要なのはグラフィックデザインとされた。シンボルマークは亀倉雄策さんの案が選ばれた。私は自分も応募して落ちたが、その悔しさを忘れるほど素晴らしいものだった。
ひとつひとつの要素は基本的な単純なものだが、それを美しくひとつにまとめた造形力はすさまじい。日本を非常にうまく象徴している。また、これまでのオリンピックを通じて、写真を使ったのは初めてだった。世界に残る素晴らしいポスターであった。そのシステムが有効に稼働できたのは勝美勝さんを中心としたデザイン懇談会が組織委員会に入り込んだ面が大きい。若者やベテランも総動員して、チーム一丸となって取り組んだ。
ピクトグラムも田中一光、福田繁をもとに作成されたが、全体のコンセプトに合致していた。丹下健三さんの国立競技場も同様であった。
翻って、今回の国立競技場の建て替えは槇文彦さんの反対もありますけど…

オリンピックは平和であること、文化の祭典である。調和が大事だろう。そして、そういった文化を伝えるにはデザイン力が大事。
私は札幌のオリンピックのマークを作らせていただいた。ここまでのオリンピックはデザインのシステムがうまく稼働した。
残念ながら長野になると、ポスターや原研哉さんの賞状など個々の出来は素晴らしいものもあるが、全体では統一がとれなかった。
2020年のオリンピックは全体の統一がとれたもの、システムの統一を改めて図る必要がある。1964年は復興の途中だったため社会インフラなどの整備に焦点があてられた。
次回は街全体が、環境との調和が最も大事なのでは。

このところ、日本の文化というものがアジアからの追い上げで、苦戦しているが、2020年のオリンピックを契機に日本のデザインの力を見せていきたいと思う。

 

田川欣哉さん(デザイン・エンジニア)
二つ提案したい。ひとつめ。オープンクリエイティブプロセス。デザインを含めて、いったいどんな数のデザインが、どこでどうやって決まっていくのかが分からない。このプロセスを透明性高く提案しましょう。ローカルなものでもパブリックなものでも関係なく、Web上にデータベースを作って登録しましょう。ディスカッションの場も設けて、みんなで進めていきましょう。
ふたつめ。オープンクリエイティブアセッツ、上記のプロセスの最終結果として、具体的な成果がつくられていく。デザイナーは通常は守秘義務があって、オープンにできないが、途中のスケッチやメモ書きを共有材としてシェアをする仕組みを作りたい。(クリエイティブコモンズみたいな?)個人のデザイナーに限らず、企業も含めてオリンピックに向けたクリエイティブを全て解放したい。
プロセスをみんなで見て、結果を共有することは教育の面で大きな意味がある。その素晴らしいクリエイティブの片鱗を一時資料として公開することで、次の世代に繋いでいこうということを東京から提案してはどうか。これを東京以後のオリンピックにも仕組みとして提案できないか。

 

松下計さん(アートディレクター)
オリンピックは平和と文化の祭典である。世界に誇れる文化を世界に発信するために日本の力を集結するべきという永井先生のお言葉はもっともだ。
しかし、現代のオリンピックに関わる利権の大きさを考えると、今のままでは非常にコンサバになっていくと考えている。たとえば合意形成が非常に難しく、合意を取ることだけがファーストプライオリティになってしまう。
例としてロンドンオリンピックでの話がある。当時のクールブリタニカは、非常におもしろい提案だった。しかし、実施された結果をみれば情報系のデザインに関すると大きな提案性は無かった。
日本もクールジャパンという事を行政マターでやっている。これをやるとやっぱり保守的になっていくのではないかと思う。
そういった保守的にならないためにはどうすればいいか?個人に引き寄せて、アイデアをたくさん出していくことが重要だと思う。個人レベルでたくさん打っていく、個々が小さな批評を持つべき。自由に競争してたくさんの選択肢をもつような環境にすべき。アニメや漫画はそういったことをうまく体現した。それは行政が関わってこなかったから。
自発的にやるべきた。オリンピックは誰のモノか?誰のモノでもない、無色透明な「メディア」である。小学校のカリキュラムに入れられるなどを期待して、これからの7年に期待したい。

 

松井龍哉さん(ロボットデザイナー)
2020年の東京オリンピックは、大勢のデザイナーにとって、ひとつの目標にむかって集結していく画期的なものになるのではないか。個々の能力を発揮していくためには、ある大きなイメージの共有が重要。流動的でもいいが、なんとなく共有できる程度でいい。
足がかりとして東京を再定義してくことがあるのではなか。角度や歴史的な文脈で考えていくと、東京が世界の都市の中で現実の事実として、他の都市と違うところを磨いて、各デザイナーが表現し、相互に繋がることが大事なのでは。
人口が世界的に最も多い。3000万人を越えている都市は他に無い。今3500万人という密度は東京にしか無い独自性。(メガシティとして考えると、ロンドンは1600万人、N.Y.2100万人くらい。)それを考えるというのが今回の趣旨だと思っている。
東京が「現実的に」持っている部分を考えるのが重要だと思う。
ロボットと東京オリンピックの招致のメンバーとして活動してきた。ロビー活動は想像を絶するプレッシャーの中で仕事をしてきた。日本人の結束力を感じた。過去の国家的プロジェクトを支えてきた先人達のお話を聞いて感じること。国家的プロジェクトの中には魔物が潜んでいる。小さなミスが大きな致命的な結果を生む。
現実的な東京を見据えて、個々のクリエイティブが相互に繋がることで日本を発信していけると信じている。

 

定村俊満さん(サインデザイナー)
東京の交通網の複雑さは世界一。東京オリンピックを訪れる人は、ここを移動しなければならない。海外の人だけではなくて、地方の人も同じ。
国会議事堂のサインの話。未だローマ字表記をしていた、東京は遅れている。
駅の看板に6カ国語表示を進めているところがあるが、ノイズになるだけ。デジタルサイネージなら分からなくはないけど…
オリンピックで開発されるピクトグラムは、お祭りを盛り上げる為のアイデンティティが必要だからである。しかし交通機関に関してはそうではない。
オリンピックのためのピクトグラムはお祭り、ハレのデザイン。
交通機関のピクトグラムはわかりやすさが重要。
このふたつにまたがった共通のコンセプトが具体化できるか、その連続性が要だろう。
パラリンピックがある。世界中からさまざまな障がいを持った人が訪れる。それ以上に重要なのは情報のバリアフリー。視覚や聴覚に障がいがある人に対しても、「平等」に情報をいかに提示していくか、日本の知性が問われている。

 

田子學さん(アートディレクター/デザイナー)
1964年のシンボルマークを作った亀倉雄策さんの話。自分の両親を引き合わせていただいたのは亀倉家。選手村で使われていたティーカップの写真。オリンピックに関わった人が、終わった後に大事に持っていて、後にホテルオークラの支配人になった。鳴海製陶がつくったもの。

 

山中敏正さん(感性デザイン研究者)
1957年にGマーク、1964年に東京オリンピック開催、7年。今日から7年後に2020年の東京オリンピック。同じタイミングで考えるというのは素晴らしい話。
当時は東京は都市化していたが、地方はテレビも無く…という状況だった。東京は「日本のお手本」という街に成長する事が必要。もう一度お手本になるべき。日本のデザインのスタンダードを作ることが使命ではないか。作ったモノが50年後に生活にどう影響するかを考える。
オリンピックはスポーツと文化の他に、芸術の祭典だと書かれている。1964年当時に日本デザイン学会は何していたかと調べると、何も無い。何も調べていない。
「デザインがそこにあるから研究する」という勝美勝さんの言葉どおり、わたしたちは皆さんのデザインを研究し、後世に残していく。

 

原研哉さん(デザイナー)
前回の東京オリンピックの時は幼稚園だった。経済大国になった日本がどのようなオリンピックになったらいいのか。オリンピックはきちんとして取り組まなければならない。これからのオリンピックは国威発揚とかたくさんの花火を打ち上げるような演出ではなく、協調やつつましさを提示していくべきでは。日本のデザインというのはそういったものに培われてきたもの。
日本の才能たちが適材適所に配置されて、その能力を発揮していくような組織作りが重要である。オリンピックというのは2020年の為だけにあるのではない。東京はさらなる発展を遂げていかなければ成らない。戦後日本は工業製品を生産し、日本列島を工場のように使ってきた。これからは文化、観光などのソフト面でのアピールをすべきでは。おもてなしというのをきっちりやっていくべき。外から来た人に対して、あらゆる瞬間が感動をもたらすチャンスであるはず。

 

田中一雄さん(環境・プロダクトデザイナー)
フォーラムを構成している組織の一つ、JIDAという立場で立っている。2020年を経て東京は都市環境像(?)に勝利しなければならない。
1)オリンピックそのものに対するデザイン。シンボルマークにはじまり、メダルやトーチやピクトグラム等…これらはデザインとして素晴らしいものである必要がある。
ではこのフォーラムは何を提案するのか?何をどのように決めるのかという道筋を示す必要がある。とかくポピュリズムに走る行政のやりかたでは駄目。
2)オリンピックを契機として整備されるデザイン。前回は新幹線、モノレールなど…それらは戦後の復興の象徴としてできた。しかし2020はそうではない。都市の要素(ロンドンのバスを例に)も都市のイメージをつくっていく力がある。
ブルーのポリペールで街を壊すようなことは、再度あってはいけない。何をどうつくるべきか(意思決定のプロセス)を提示していくべき。デザインを作る仕組みを提示していくべき。世界に尊敬される東京を。

 

廣田尚子さん(プロダクトデザイナー)
バリアフリーについて。東京はバリアフリーに関してはその質は確かなものとは言えない。多くの外国人と障がいを持った方がくる2020年においては、バリアフリーの充実は必須だと考える。その仕組みを整えることで、2020年後の東京に最先端のバリアフリーが残ることが重要だ。現状ある問題の解決としてスタートするのではなく、理想を、本質を捉え直すということを考える。分野を跨ぎ、デザインが得意とするヨコ方向のつながりを持って取り組むべきだろう。
バリアフリーをおもてなしとして捉えるべき。もてなす行為で相手が喜び、もてなす側も心が豊かになる。心のリレーションがある、相互関係である。環境設備が整っても、街の人の言動が変わらなければ本当の意味ではバリアフリーとは言えない。バリアフリーをおもてなしと捉える、そう言った取り組みが必要。
今の時代は共感が大きなエネルギーを呼ぶ。おもてなしという今、日本人が誰でも知っている言葉とつなげることで、バリアフリーの新しい次元への昇華が可能でなないか。
デザインは人を中心に据えて、本質を見える化して、わかりやすい形で解決すること。多くの人の共感を得て、浸透し、ムーブメントになることを期待する。ユーザとなる障がい者や外人の方を最初の開発段階から参加してもらうことが重要では。より「人間的」なバリアフリーを。「人を想い、美しく機能する都市、東京」を。

 

勝井三雄先生(グラフィックデザイナー)
過去と現在という抽象的な問題に関わってみたい。64年のオリンピックに関わって、証言として報告し、未来にオリンピックがどういうかたちでのこったかを話したい。
亀倉雄策さんのシンボルマーク、オリンピックとしては最初にシンボルがつくられたもの。1914年に五輪のマークがつくられた。万博に比べると新しいイベント。そのこともあってか、オリンピックのデザインは遅れていた。
1867年の第2回パリ万博、幕府、島津藩、佐賀藩が出品する、モノで伝えていくという万博が開かれていた。(幕府からすると幕府以外に藩がふたつもでていて話し合い。朱印船に日の丸をつける習慣があった、ほかのふたつの藩も日の丸を使っていた。)そこで一番の問題は漆。漆器は日本の工芸の最たるモノ。他に和紙など。フランスのJaponeという言葉に置き換わる。このイベントが日本の技術を世界に発信する最初のイベント。
勝美勝さんは、オリンピックの時、日本には家紋がある。全ての着物や漆器についたり全国に浸透しているとして、ピクトグラムの開発に繋がった。そういった意味では当時のピクトグラムは日本の伝統に基づいている。
ノイラートのアイソタイプは国際視覚言語として提案していたが、オリンピックでは使われてなかった。理由は日本という漢字圏(アルファベットではない)という面が大きいのでは。1964の東京のピクトグラムは、後のメキシコ、ミュンヘンではオトル・アイヒャーも使うなど革命的な出来事だった。
私たちは2020年の後に何が残せるか、これが最も重要だ。
オリンピックは「世界に繋がるテーマ」を見つけていくべき。それをどこに見つけていくか?それが後の世界にどのように継続していくか。
僕は次の世代、子供に「希望」を残せるようなモノをやるべきだと思っている。世界に通じるものである必要がある。皆さんの視点を、世界に繋がる文化としての日本を捉えて欲しい。その上で感動を共有したい。

 

福島治さん(グラフィックデザイナー)
ソーシャルデザインをライフワークにしてる。毎週福島を訪れている。
近代のオリンピックで最も革新的な出来事は、大会がオリンピックから「オリンピック、パラリンピック」になったことである。オリンピックが世界中の誰もが、スポーツを通じて喜びを手にすることができるものに変わった。
オリンピックは完成したものになっている、しかしパラリンピックは大会出場者であっても経済的にまだまだ豊かとは言えない。東日本大震災の世界に向けて御礼を、パラリンピックで体現しませんか?
パラリンピックの全6000人の選手を全員無料で日本の観光に招待しませんか?復興しつつある被災地でもいいでしょう。世界最大のおもてなしは、世界中のメディアが取り上げてくれるはず。他にもパラリンピックの選手が快適に移動できるように、すべての交通機関にエレベーターを取り付けましょう。(変なかたちの競技場をつくる予算の千分の一でできることです。)笑顔を分かち合う大会にしたい。

 

久田邦夫さん(アートディレクター)
ロンドンオリンピックの時の演出の話。タイポから、カラーから、イギリスのロックを感じる。では東京は?まずデザインの前に考えるべき。個人的には「粋」だと思っている。このビジョンを具現化するには仕組み作りが重要。デザイン界もグラフィック、プロダクト、サインなど別れている…が、横のつながりをもってデザイン界はひとつにつながり、陶芸、アートなども含めてクリエイティブなチームにすべきでは。

 

ムラタ・チアキさん(プロダクトデザイナー)
オリンピックを考えた時、式年遷宮を思いだした。天武天皇が1300年前に考案、奥さんが亡くなった時の遺言で実施が開始された。今年62回目。日本が生んだ最古の仕組みで今なお続いている。なぜここまでの大規模な事業が現代まで続いたのか、それはグランドデザインがあったからだと思う。このグランドデザインを作り上げるのは、いままでの行政のシステムでは不可能だろう。仕組みから作らなければならない。例として、イギリスのマンパワーを育てるのはサッチャー首相のソフト産業政策。サッチャーが「今のイギリスがあるのはビートルズのおかげだ」
伊勢神宮の式年遷宮の神事の話。式年遷宮のサスティナブルな考え方、これは日本が根底に持つ美学ではないか。ラフカディオ・ハーン「華美を競う時代から、恒久の美を競う時代がくる」この日本固有の美学によって世界を啓蒙していきたい。
日本の心を体感できる「体感都市東京」と実現したい。ことばでもてなすのではなく、空間と間合いでもてなす。

 

暦本純一さん(ヒューマン・コンピュータ・インタラクション研究者)
テクノロジーによってスポーツを観る体験が変わってきている。またスポーツそのものもテクノロジーによってデザインできるのでは。21世紀のスポーツは能力差を越えられるかもしれない。未来のスポーツをデザインしたい。物理法則そのものもデザインによって変えることが出来るかも。スポーツの楽しさを全員が享受できるようにしたい。スポーツの拡張を。

 

永井一史さん(アートディレクター)
亀倉雄策さん作のオリンピック史上に残る1964年のマークの話。デザインが優れていただけではなく、戦後の日本の状況を鑑みると、国民ひとりひとりが次の日本のかたちをそこに見いだせたから、ここまで浸透したのでは。
2020年も「次の日本の形」を考えていくべきではないだろうか。国民ひとりひとりが未来を考えていく契機にしたい。それこそが最大の意味だと思う。2020年は定常的社会、高齢化、成熟化を迎えた社会への扉にしていくべき。被害日本大震災の復興を示すほか、再生可能エネルギーを展開する、パラリンピックへのコミットなど…地域の資源の再発見など日本全体として豊かにしていく必要がある。オリンピックの中だけに閉じず、外側、社会にきちんとリーチしていくべき。これらの話はオリンピックが無くても考えなければならない話ではあるが、時間的な線がひかれてことで、良い契機としていくべき。

 

深澤直人さん(プロダクトデザイナー)
「美しい都市、
きめ細かいもてなし。
優しい人柄。
美しいスポーツの祭典。」
デザインウィークで様々な海外の人が来るが、日本の印象を聞くと「美しい」と言われる。気になった言葉にDisciplineという印象を延べる人がいた。日本というのは経済の仕組みに逆らって、サービスの質が高い。(安いお店でもサービスの質が高い)それらを指しているようだ。良い言葉だなと思った。美しいということばには様々な意味を内包している。
日本は、誰から教えられた分けでも無く、見えない場所にも手を抜かずに美しく仕上げる。これはなぜそうさせているのか研究してもよくわからない。新渡戸稲造の武士道かもしれないし、宗教観かもしれないし…
オリンピックは美しさを競うところだと思う。日本はきちっとしている、ちゃんとやりぬく、というところを誇りにしている国だと思う。それをどうやって見せていくことが重要なファクターなのではないか。もてなしだったり優しさだったり…それが美しい都市となり、結果として「美しいスポーツの祭典」になればいい。それこそが「日本らしい」ものなのでは。

 

自由すぎる浅葉克己さん(アートディレクター)
今日はハロウィン、三宅一生さんの服を着てきた。三宅さん来なくて残念だな。歴史的瞬間なので記念撮影をしたい。(カメラ構える)東京オリンピックの時に買ったカメラ、ワイドラックスというカメラです。
9月の末に原研哉さんと佐藤卓さんらと一緒にロンドンのデザイン会議に行ってきた。猪瀬知事知ってるのは浅葉さんだけだから、手紙書いてと言われて…書で書いた。もうすぐ会うことになるだろう。
日本にはデザインミュージアムが無い、世界のどこの都市にもあるのに。とても残念だ。三宅さんなどを中心になんとか作ろうという話になっている。かなり具体的になって来ている。
私は卓球をずっとやっている。1964年には20競技しかなかった。今は33種目。2020年はいくつだろうか。88年のソウルから卓球が加わった。
最後ですので、卓球の球を24発打ちたいと思う。発祥はイギリスらしいです。(バッグからラケットと玉を取り出して客席に向かって打ち込む…)

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